※こちらは、ずっと昔に書いた記事を少し修正して再公開したものです。
トイストーリー4の悪役、ギャビーギャビーとベンソンが個人的にかなりお気に入りだったので、少し考えたことをまとめさせて欲しい。
ギャビーギャビーとベンソンに見るホラー要素
初登場シーンの得体の知れない不気味さ
ホラー要素が意識されたヴィランだ。初登場シーンがいい感じに怖い。照明の当たり方、絶妙に話の噛み合わない感じ、じわじわと逃げ場を塞がれる感じ。
おまけにBGMはホラー映画「シャイニング」のテーマ曲である。
ベンソンの目がわざとぼやけた感じに映っている。
この数秒後に再びカメラが向くと、そこで初めてピントが合い、ベンソンがウッディのボイスボックスをガン見していることがわかる。
この時の明らかに狙っている感じももちろん怖いのだが、個人的にはその前(上画像)の目元だけボカされたベンソンがかなり不気味である。なんか猫目っぽく見えるし。良い。
ベンソンの初登場シーンもかなり雰囲気があって良い。
ウッディとフォーキーがボーの名前を呼びながら暗いアンティークショップをさまよう。
すると乳母車を押す人間らしき足が見える。警戒しているウッディに対し呑気に声をかけるフォーキー。振り向くとそれは…という流れ。
ウッディにも視聴者にも一瞬「人間か?」と思わせるのがすごく良い。
そして振り返ると全く人間ではないことがわかるのも良い。
「人間かと思っていたものが人間ではなかった」という状況が、ある種の不気味の谷現象を作り出している。
※不気味の谷現象:人は、ロボットや人形の見た目・動きが人間に似ていれば似ているほど愛着を感じる。だが、その「似ている度合い」がある境を超え「中途半端に人間に似ている、どっちなのかカテゴリー付けするのが難しい」という状態になると、途端に不気味だと感じる。という現象のこと。
(余談:乳母車で話をするシーン、ウッディたちがセカンドチャンスアンティークに入ったのは午前4時だが、二人が話を終えてチェイスシーンが始まるのは午前8時。この二人、乳母車に乗って4時間話し続けていたのである(「ミスです」とのスタッフ談あり))
ギャビーギャビーの行動目的に見るホラー要素
ピクサーの悪役は、今までに主人公が持つ(連れている)様々な物を奪おうとしてきた。植物、子供、鳥、写真… 今回のヴィランであるギャビーは、ウッディのボイスボックスを狙っていた。これはウッディの体の一部であり、人間でいえば臓器のような物だ。
ホラーフィクションでは、よく「主人公の体の一部を奪おうとする悪霊」が散見される。
一度は見たことがないだろうか。
目の見えない幽霊に呪われて主人公が失明するオチ、
なんらかの理由で幽霊に指を持っていかれるオチ、
耳だけお経を書き忘れて耳を持ってかれるオチ…
そう、ホラーに登場する化物は、主人公の体の一部を狙いがちである。
そうやって見ると、ギャビーギャビーはかなりホラー映画の悪霊じみた性質を持っていることがわかる。
ここがギャビーたちのホラー要素たらしめる部分に拍車をかけているのではないか。
最終的にウッディがボイスボックスを渡すシーンも怖い。
走馬灯のようにボイスボックスの音声が聞こえては遠のき、やがて目が覚めるという演出も良いのだが、何よりこの時のウッディ、意識を失っているのである。
ギャビーと違い埋め込まれているからなのかもしれないが、「はいお待ち!」と渡せるような軽い物ではないことがわかる。
おまけに糸を縫うベンソンのカットが、明らかに手術台で目覚める光景をモチーフにしているのもいい。かなりブラックである。
ギャビーギャビーとベンソンの人格について考える
ギャビーギャビーとベンソンの人格について考えます。
ベンソンはなぜギャビーに従うか
ギャビーギャビーとベンソンはどういう関係性か。
公式では「henchman(手下)」と言われており、第一印象としてはそこに相違ない。
では、なぜベンソンはギャビーに仕えているのだろうか。
まず、当然ながらあの世界に法で決められた階級のようなものは存在しない。
3のサニーサイドはロッツォを軸に階級制度が見られた。
ロッツォがあそこまでの権力を持てた理由は、統率力、加えてビッグベビーという極めてパワータイプなおもちゃの存在があったからだと思われる。
だが、ギャビーはどうだろうか。
統率力の方は不明だが、力でいえばベンソンたちの方が上であるはずだ。
つまり脅しや力で築き上げられた関係ではないことがわかる。
ベンソンは操り人形だから説
ベンソンがギャビーに従っている理由の説一つ目は、ベンソンたちには意識がなく、文字通りただの操り人形であるからというものだ。
無口さ、ゾンビのような振る舞い…彼らは他のおもちゃに比べ、生命としての意識を感じにくい。パペットという属性がそうさせているのかもしれない。
そして操り人形である以上、彼らに意識はなく、近しいおもちゃに従ってしまうようにできているのではないか、というものだ。
ギャビーに同情しているから説
もう一つは、「声を持たない」という自分と同じ性質を持つギャビーに同情しているというものだ。
ベンソンたちは非常に無口だ。
ギャビーに耳打ちするシーンはあれど、はっきり話すシーンはない。
自らの意思で口を閉ざしているのか、はたまたはっきりと喋ることができないのかは不明だが、ここでは後者として話を進める。
人間の言語伝達手段という役割を持つ彼らは、ほとんど喋ることができない。声を持たない、つまりギャビーと同じである。
腹話術人形は人に声を当てられることで初めて意味を成す人形だ。
そしてギャビーは自身の声を手に入れることを強く望んでいる。
gabbyは英語で「おしゃべり」の意でもある。
人の声がなければ存在価値を保てない人形としてギャビーに同情し、幸せになってもらいたいと思ったのかもしれない。
ギャビーは悪事を自覚していたか
ギャビーは最終的に救われるキャラクターだが、だからといって以前と心を入れ替えたわけではないと思っている。
彼女は俗っぽくいえば箱入りだ。世間的な常識を知らない可能性がある。
だから強引に発声器を譲り受けることを悪いことだとは思っていなかったかもしれない。
実際、一連の行動に対しギャビーは本当に悪いことだと自覚していただろうか。
まず、フォーキーを誘拐したこと。
彼女はフォーキーに手荒な真似はしない。かなり友好的な態度を取っている。
ウッディたちも視聴者も「フォーキーは誘拐された」と思っているわけだが、彼女は「誘拐し人質にとった」という自覚さえないのかもしれない。
一方、ベンソンはどうだろうか。
彼は初めのシーンでウッディがハーモニーに連れて行かれた際、フォーキーの口を抑えている。明らかに人質に対する対応である。
さらに、ウッディの様子を窓から伺っている。完全に「返して欲しければ戻ってこい」と言っている。
つまり、世間的常識に疎く悪いことを悪いことと思っていないギャビーと、悪いことをしている自覚がありながらもギャビーのために手を染めるベンソンの構図が見えてくるのである。
フォーキーを誘拐して人質に取ったベンソンと、「ベンソンがなんかおもちゃ連れてきたから友達になっちゃお♪」くらいな気持ちのギャビー。これだと思う。
ギャビーは友人関係の築き方を知らないかもしれない
ギャビーギャビー世間を知らない説に基づきもう一つ。
彼女は、他人(他おもちゃ)との関係性の築き方も歪んでいるように思える。
同じおもちゃであるベンソンを配下のように従え、正式な持ち主ではないハーモニーを「私のハーモニー」と呼ぶ彼女は、なんとも女王的な思考を持っている。
他人を所持し、支配・寵愛しようとする人格だ。
(実際グッズでは「Queen」と呼ばれている)
だが本人にはあまりその自覚がないと思われる。
彼女とベンソンの間には明確な主従関係が見えるが、彼女はベンソンのことを「仲良し(good friends)」と呼んでいる。決して「手下」とは言っていないのだ。
もちろん言葉の綾かも知れないが、彼女はベンソンに対し終始友人のような態度を取り続ける。
彼女は「手下」ではなく本当に「友達」と思っているのかも知れない。
つまり、彼女は箱入り故に正しい人付き合いの仕方を知らず、「友達」というものへの認識が歪んでいるのではないだろうか。
周りにベンソンのような従属性の強いおもちゃしかいなかったのならば尚更である。
「あいつやばいんだよ!」から考える、ギグルとギャビーの間にあったこと
「あいつやばいんだよ!」ギグルがギャビーについてこう言っていた。この一言があまりに気になる。
なぜギグルは、ギャビーを「やばい」と思うようになったのか?
ギャビーはボイスボックスが欲しい。そのためボイスボックスを持つおもちゃには「やばい」ことをしかねないだろう。だが、ギグルやその友達ボーはボイスボックスを持っていない。「やばい」ことをされる動機がないのである。
ここで、先ほどの「ギャビー友人関係の築き方知らない説」を投入する。
ギャビーは決してとっつきにくい性格ではない。初対面のおもちゃには普通に明るく接するタイプだ。
そのため、初めてギグルとあの店で出会った日も、それなりに仲良くなろうとしていたんじゃないだろうか。
だがギャビーは上述のように、「友達」に対する認識が歪んでいる。
そのため、ギグルたちに対してもベンソンのような扱いをした。
それでギグルは「やばい」を感じたのではないか。
ギャビーの救済はウッディの救済でもあったという話
「一人も見捨てないぞ!」本作の予告でウッディが発した言葉だ。
本編を見た後、「一人も」にヴィランであるギャビーが入っていたことに、当時すごく感銘を受けた。
ロッツォハグベアを覚えているだろうか。彼はトイストーリー3のヴィランである。
ウッディはロッツォがゴミ処理場でバラバラになりそうなところを、命をかけて救った。
だがそれが命取りとなった。
ロッツォは「アンディは助けに来るかな保安官!(五八五)」と恩を仇で返し、ウッディたちを見捨てて一人で逃げたのだ。
それによって、彼らは死の縁を彷徨うことになった。
ウッディは「敵に情けをかけたことで死にかける」という経験をしている。
普通なら1回そんなことがあればもう二度とそんなことしようとは思わない。
だがウッディは違った。
本作でウッディは、またもや敵であるギャビーを救った。
そして結果的に彼女は救われた。
今回はウッディの気持ちが裏切られることはなかったのである。
一度敵を助けて死にかけてもまた同じことをするようなウッディの優しさが、本作によって報われた。
ギャビーの救済はウッディの救済でもあったのである。
ベンソンはあの最後で幸せだったか
最後に大活躍を見せたベンソンであったが、ベンソン的にはあれで良かったのだろうか。
ギャビーと同じく、彼らもまた長い間アンティークショップで暮らしてきた人形だ。
だが、あの最後ではおそらくショップに逆戻りだろう。
もしベンソンたちも誰かに買われることを待っていたのならば、あの最後はなんとも報われない。
これで終わってしまうとあまりに悲しいので、いくつかベンソンが報われるような説を考えてみた。
ベンソンあまり人に遊んでもらいたい人形ではない説
トイストーリーシリーズのおもちゃは、皆人間の子供を求めている。
人に愛されること、人を幸せにすることを一番の喜びとしている。
だがベンソンについてもう一度考えてみて欲しい。
彼らは他とは違い、子供がごっこ遊びなどをして楽しむおもちゃではない。
かなりの例外なのである。
子供に愛されることを目的としていない彼らは、人に買われることをそこまで強く欲していない可能性がある。
だからこそギャビーに同情し、彼女の幸せだけを追求した行動を取り続けていたのではないだろうか。
そして彼女が幸せになればもうそれで良かったんじゃないか。
ベンソンもう天寿を全うした説
死んでないです。
ベンソンは見た目こそ不気味だが、人気のない人形かと言われればそんなことはないはずだ。腹話術自体はポピュラーだし、その人形はそれなりに価値がある。ベンソンも買ったら結構するのではないか?
何が言いたいかというと、彼らはギャビーとは違い、もうすでに長い間人の手で愛されていたおもちゃかもしれない、ということだ。
「リサーチのために各地のアンティークショップを回ったところ、どの店にも腹話術の人形があった」とピクサーのスタッフは言っていた。
腹話術人形が多く売られているのは、やはり腹話術師などが歳をとって仕事を終えた後に売っているからなのだろうか。
そうだとしたら、ベンソンたちもかなり年季の入った人形のはずだ。
十分人に愛されてきた自分たちよりも、人に愛されたことのない人形であるギャビーを幸せにしたかったのかもしれない。
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